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経管栄養をはじめとして、種々の延命的な治療の適応、中止の基準等があまりにも曖昧であり、そのために、患者の尊厳を著しく傷つけている気がしてならない。この点について、みなさんの意見を伺いたい。
ホスピスの研修でこのような症例は不連当だと思います。しかし、神経難病の患者さん、慢性呼吸不全や脳血管障害の患者さんを見ていると、現代の医療が抱えているさまざまな矛盾や、その医療技術に社会的な背景が追いついていない現状が大きな問題として浮かび上がってきます。緩和医療の目的が、すべての人に尊厳ある生を提供し、そして尊厳ある死を迎えることができるように援助することにあるならば、末期癌だけではなく、こういった慢性疾患の末期についてもぜひとも目を向けていただきたいと思い、この症例を呈示いたしました。
Andrew 英国では指針のようなものがありまして、これは法的な拘束力をもたないのですけれども、判断が難しくなったときに一つの指針として判断の支えとなるものです。この患者のようにCDAの重篤な状態になって医師だけで一方的にものを決めるということはやはりできないと思います。
次にもっと難しい臨床的にロックドインの症候と持続的な植物的な状況というものの区別、判断ということなのですが、私の専門分野を離れるのですが、やはりそれの専門の人と相談して区別することは重要なことだと思います。
いま説明してくださった患者の状況のように英国でも類似した状況に陥った患者があるわけで、コミュニケーションがとれないで医学的な措置をとるにあたって、一番簡単な一つの基準、たとえばアンティバーティックを使うか使わないかというような状況で患者本人とのコミュニケーションができないので、インフォームド・コンセントがとれない場合、医師一人の判断でそういったことを決定すると大問題になります。ですから家族またはキーパーソンといわれるような人、それからスタッフの人たちと相談して決めるということを必ずいたします。
Wendy 非常に難しい症例の一つだと思います。何の決定をするにしてもとにかく家族とスタッフとともに話し合う、家族の希望はどこにあるのか、気持ちはどうなのかということをまず理解する、理解してもそれを踏まえて決断をするということが次に難しいことではあるのですが。
−現実の問題としてどういう状況になったらどう判断するかというのは、本人でさえわからないだろうと思うのです。ですから現実的な方法としてアメリカでははっきりしているのですけれども、リビングウィルとならんで代理人を指名しておくという方式がかなり普及しているようです。ですからこういう場合にはこう考えるということを相談すると同時に、何かあった場合には誰それと一緒に考えてくれというのを文章にして残しておくのが非常に現実的ではないかという気がしますけれども。
−この症例の場合もそうなのですが、こういった患者さんを非常に多く抱えているので、こういった患者さんのところに往診したときに、ご家族にあなたはこの患者さんと同じ状態になって生きていたいですかと聞いたことがあります。ほとんどの方は嫌だといわれます。それから経管栄養を挿入したお医者さんに、あなたは脳梗塞になって経管栄養を入れられたいかと聞いてもやってほしいという人はほとんどいないのです。それにもかかわらず家族も私たちも平気で経管栄養を導入してしまう。やはり基準というものが必要なのではないかと思うのです。問題を解決するためにはやはりイギリスにあるような指針ができていかなければいけないのではないかと思うのです。
日野原 結局みんな責任をとりたくないのですよ。医師も、家族も。そうすると結局医師やナースがなんとかしなくてはならないように追い込まれ孔医師やナースもその責任をとりたくない。だからいま言ったようなある意味の基準があると、その基準に従ってということで逃げ込むということが実際起こるわけです。一番いいのは話し合って決めるべきなので、もっと早くから早め早めに情報を与える、いつも遅れるからいい加減なことでごまかしてしまうということがあるのです。癌の診断がついた時がいちばんやりやすいのではないかと思います。この問題は明日のセッションがありますから、今日はこれで終わりたいと思います。
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